「今日」トップ 元治1年9月 テーマ別日誌 開国-開城 HP内検索  HPトップ

◆9/19へ ◆9/22へ

元治元年9月21日(1864年10月21日)

【京】前尾張藩主徳川慶勝、率兵入京/
越前藩側用人酒井十之丞・中根雪江と共に、再び老中阿部正外を訪ね、外国の対策を献ず
阿部正外、切迫する事情を告げ、諸侯会議を待たずに幕府で決定すべきだと述べる

☆京都のお天気:晴 (『嵯峨実愛日記』)

>第一次幕長戦へ
【京】元治1年9月21日、前尾張藩主徳川慶勝が兵を率いて着京しました

ようやく!!です。
関連:■「開国開城」30. 第一次幕長戦争■テーマ別元治1第一次幕長戦

>横浜鎖港・兵庫開港問題
【京】元治1年9月21日、越前藩側用人酒井十之丞は中根雪江と共に、外国の対策を献じるために、再び老中阿部正外を訪ねました。

老中阿部正外は、外国艦隊が摂海に来航して朝廷に開国を迫るかもしれないという、江戸からの使者がもたらした切迫した情報を中根らに明かしました
阿部 (外国の応接については)いよいよ困難の極みに迫っている。というのも昨夜、御目付某が江戸より着いたが、その申すところによれば、外国人の主張はこれまでも随分面倒なことが多かったが、その中には虚喝も混じっていたので却って応じやすいところがなきにもあらずだった。しかし、今回の主張は従前に似ず真面目のようである。その内容は、従来、<条約のうち実行されない条項も少なくはない。「政府」(=幕府)は実行されようとする覚悟はあるが、別によんどころなき事情(=朝廷)があって、実行が遅れてうるものと推察するので、今日までは切迫の御催促に及ばなかった。しかし、いついつまでもこのような状況では再現がないので、今度は、委細の上京を京都へ仰せ上げられ、そのうえで断然実行されよ。もしその状況を仰せ上げられても京都において御了解に到らなければ、(外国船で)摂海に乗りこみ、我々どもより直ちに朝廷へ請求するだろう。そうやって請求しても(朝廷が開国を)なお御了解あらせられなければ、その際は兵力をもって御迫り申し上げる決心である。この申し立てに対しては、本月6日より来月5日の30日間のに何分の御返答あるように>というものである。

阿部は、また、中根らの建策した、征長の成功を朝廷に奏した上での諸侯会議による国是決定については、(先日と違って事態が切迫しているので)諸侯会議を待たず幕府だけで決定するのが良策であると告げ、この天下の大勢では幕府は長くはもたないと思われるので、決定すべきことは自ら決定し、そのために倒れるならば本懐だとの覚悟を述べました。
中根 朝廷も幕府も鎖国が遂げえないことは了解されながら、朝廷は閉ざせとあり、幕府も閉ざしますると仰せあげられ、実は御双方とも御心にもない事を仰せ出されているのです。・・・朝廷も幕府も、今日、突然開国とは仰せ出されにくいでしょうから、征長の件を御奏功の上、諸侯の会議をもって開鎖のいずれかに御決定あるのが、今日の便法と思考し、その趣を記した書を持参しました。ですが、これは一昨日、十之丞に仰られた事情に対しての意見であり、今日仰せになったような一層切迫した申し立てに対しては、更に再考せざるを得ません。もはや不用ですが、せっかく持参しましたので(と書面を差し出す)
阿部 (一読して)開鎖の可否は諸侯の議を待たず、幕府だけで断然と決定してはどうか
中根 それは「幕府の私」となるでしょう。しかし、その「私」を咎めるものがあれば、何人によらずたちまち威力をもって倒すとの御覚悟ならば、それは格別の事です
阿部 「天下の大勢を察するに幕府ハ到底永く維持するを得ざるへし。されハ決定すへき事を決定し、夫(それ)が為め倒るヽハ却而(かえって)本懐なるへし」。もっとも、そのように決心して倒れんとする場合には、これを助け起こそうとする者もあるだろう。拙者にはこのほかには良案はない。
中根 それほどまでの御決心であれば、ともかくも(そのように)お取り計らいされるとよいでしょう。

<ヒロ>
これまで、阿部正外は将軍の下の諸侯会議による国是決定については、積極的な意見を述べていました。これは、前越前藩主の建議とも非常に近いもので、中根らの建策も、この線上にあります。ただし、中根もいっているように、この策は、近々に外国艦隊が摂海に来航して直接開国を迫る可能性がないという前提でした。ところが、10月5日までに返答しないと外国艦隊が押し寄せるという切迫した情報が入ったため、阿部は、幕府単独で国是を決める方に意見を変えてしまいました。このときの、「天下の大勢を察するに幕府ハ到底永く維持するを得ざるへし。されハ決定すへき事を決定し、夫(それ)が為め倒るヽハ却而(かえって)本懐なるへし」という覚悟は、確かに、勝が「これまでの老中と違う」と思っただけのことはあると思います。

江戸からの新情報のネタもとは探せませんでした。なお、9月17日には、幕府と四ヵ国代表との間で、3万ドルの償金支払いあるいは瀬戸内海の一港(兵庫)開港という条約を締結することで合意しており(こちら)、そのニュースも京都へは三日限で届いているのではとは思います。

参考:『続再夢紀事』三(2018/7/20)
関連:■「開国開城」28横浜鎖港問題と江戸の政変、四国連合艦隊の下関砲撃事件■テーマ別元治1横浜鎖港問題(2)&条約勅許問題

◆9/19へ ◆9/22へ

「今日」トップ 元治1年9月 テーマ別日誌 開国-開城 HP内検索  HPトップ